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執筆者の写真#takupilates

身体論ノート ピラティス×プロフェッショナル ラグビー元日本代表 宮下 哲朗②

更新日:2019年10月16日

ラグビープレーヤーとしての身体と心とは?

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T:ラグビー選手として身体と心のつながりはどのような意味がありますか?


宮:試合中、相手選手との生身でのぶつかり合いが80分間継続し、無数に繰り返されるためラグビープレーヤーの身体と心はタフでなければなりません。プレーには常に肉体的精神的プレッシャー(痛み、苦しみ)=恐怖心 がつきまとい常時そこと向き合い続けなければなりません。それが人間の本能だからです。

私はタフさ、とはその非日常の苦しみ、恐怖心=カオスを愉しみ面白がり、自ら積極的にそこに向かうことができる、という姿勢であると捉えています。


T:深いところまでいきますね!ラグビーはよく3Kのスポーツ「きつい」「きたない」「危険」と言われますが、それ自体も愉しんでいくということ。これを聞いて思い浮かんだのですが、アシュタンガヨガの八支則(8つの教え)にはタパス(Tapas)/苦行、自制というものがあって、精神鍛錬のために困難なことを実行すること、というものがあります。人間として生きていく限り避けられない人生のさまざまな問題や試練を、受け入れる強さを培うこと。でも、ただ単に自分を痛めつけたり、我慢す ることはアヒムサ(非暴力)という教えに反します。どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養うために実践するということ宮下さんはラグビーを通して実践されていたのだなと、今つながりました。


ピラティスを体験して


T:宮下さんにはピラティスのレッスンを体験していただいてますが、どのように感じていますか?


宮:よく「心技体」と言われますが私は「体心技」の順で感じています。

心と身体は一対のものであるので、思考からメンタルをコントロールすることは本質的に難しいことであると感じているからです。 

よく「頭ではわかっているのですが」という表現がありますが、結局本質的なものを追い求めていくと身体で腑に落とすというプロセスが不可欠になってきます。


T:心を心でなんとかしようと思っても無理がある。身体のコントロールを通じて、心をコントロールする。まさにそれがピラティスのコンセプトです。


宮:私は身体の構造、法則は=宇宙の法則であり、これは「高いところから飛び降りたら下に落ちる!」という人類すべてに問答無用で働いているレベルであると捉えています。

身体の構造、法則を身体で実践、追求(一致)させていくピラティスは究極かつだれにでもに通じる普遍的な成功メソッドとも呼べます。


T:そう感じていただけると嬉しいです!ピラティスは重力や筋骨格の構造、力学など 、宗教色が排除された現代的で科学的な原則に基づいて身体をコントロールしていきます。ある意味「宇宙の法則」という誰にでもあてはまる法則にそって身体を扱っていきます。そして、ピラティスにも動くためにどのようなマインドをもって実践するかという原則が存在します。


ピラティスとラグビーに感じる共通点とは?


宮:常に自身の身体と心と向き合っていく、というアプローチが共通していると感じます。

ただラグビー選手の場合は常にどこかしらなにかしらの痛み、不快感を抱えている状態なのでその中で、どうベストのパフォーマンスを実現していくのか、というネガティブ(防衛本能的)なアプローチであるのに対して、

ピラティスはよりよく心地よいポジションや身体操作を誘導されながら見つけていく(気づいていく、身に着けていく)というポジティブなアプローチという印象です。


T:私もラグビーをしている時は、怪我が勲章みたいな気持ちがありました。痛みや不快感というのものを感じないよう身体に命令してきたんだなと思います。ピラティスをしてはじめて自分の身体の感覚に素直になったように思います。

ピラティスは形で真似ても正しい筋肉が動員できなければ必ず不快感があります。はじめたころは自分でできていると思っていた動作も、人から見たら無理をしていたようでだいぶ直されました。それって、日常で人に対して自分がとっている態度や姿でもあるので、そういったところから自分の理解が深まって心が変わるというのもピラティスの魅力です。


宮:ラグビー選手は本能的に自身の身体と心と常に向き合い続けるという習慣が身についています。ただ、その向き合い方は身体的、精神的に必ずしも正しい向き合い方(方向づけ)となっているとは限りません。

そこに一見相反するピラティスアプローチが融合され正された時に相乗効果が起こり、心身ともに覚醒していく可能性を強く感じています。


T:ラグビー選手はとっても自己犠牲的!(笑)なので、自分のラグビーという目的のための道具として身体を酷使してしまってはいけないという事ですね。その点はピラティスの正確性や身体の意識というのが有効になってくるわけですね。


ラグビーと身体と心のつながり


T:ラグビーの試合中で身体と心のつながりを感じた面白いエピソードなどあれば教えてください。

宮:ルースボール(こぼれ球)が転がってくる場所とタイミングがわかってしまう時がありました。その時の身体感覚としては地に足がつき、しっかりと重力を感じている状態。筋力が働いていない(筋力優位ではない?)から反応が誰よりも早く先取りして自然と動けている感覚でした。


T:自分で判断する前に身体と脳がわかっている状態でしょうか?ゲーム経験、キャップ数、練習というデータの蓄積など、簡単に言うと経験則とはまた違いますか?


宮:これは経験とか練習量とかもあるかもしれませんが、むしろそれを越えた人間本来の力(超越した力)が働いていた印象です。

なぜなら私自身ルースボールを奪い合うセービングの練習などしたことがないからです。このプレーはプレーの中で突発的に起こることなので試合でしか磨けないプレーだからです。試合中このゾーン感覚に入ったことは何度かありましたが、感覚としては完全に身をゆだねている。やる前から結果がわかっている。自動的に導かれトレースしている状態です。


T:楕円球という予測不能なボールのバウンドやタイミングがわかる。次に起こる事よりも精神的、身体的に優位に立てる状態。 またその時の感覚が「筋力優位ではない」というのは面白いですね。

ピラティスの原則の中に「Flow」というものがありますが、動きの流れの中において、意識が身体の動きを後追いしているような瞬間があります。通常は「意識して身体を動かす」なんですが、動きが先行して脳が起こっている事を後から感じ始める熟練したティーチャーのレッスンを受けるとその状態が起こり、まさに筋力優位ではない自然と動いてける感覚になったことがあります。


宮:イチロー選手をはじめ多くのトップアスリートはそれを味わうため(だけ)にプレーし続けている。という話をよく聞きます。しかし、それは気まぐれな神が降りてくるかどうか!といった再現性の乏しいものになってしまっているのが現状です。

そういう意味ではピラティスでは体系的に呼吸と身体の使い方を誘導していくので、そのやりとりの中で主観と客観の一致が起こりゾーン状態へと導かれていく、という実感です!


ピラティスの個人セッションを受けると漏れなくフロー状態に入ります(笑)

自身の身体感覚と向き合うこと(内観)とインストラクターから客観的に的確な身体操作へと導かれること(俯瞰)が同時進行で行われるため、主観(内観)と客観(俯瞰)の一致が起こり、茶の湯でいう「主客一体」禅の状態に誘われていくのではないでしょうか? 


T:ラグビーの試合中にもそのような瞬間はありましたか?


宮:試合中に痛みを感じない、疲れを感じないことは何度かありました。

勝つことがわかっている状態なので逆に勝ち負けや成功失敗という概念も超越していてただただ悦びの醗酵表現をプレーしていました。


T:タックルというプレーを通じて、自ら仲間やすべての人々の魂に火をつけ、それぞれの役割に目覚めさせ、全体を一体化させる!「場を作る」それができれば自然と勝利に向かってチームは動き出す。その時には勝ち負けの概念などなく、痛みも疲れもない。もはや瞑想状態と一緒ですね!


宮:ピラティスは「動く禅」と言われていますがそれを堪能させていただいております。ピラティスでのフロー状態へのプロセスをスポーツの場にアレンジし意図的にフロー状態へと導くアプローチも考えられるのではないでしょうか?そして、この悦び、この営み、を今世界が注目している禅、とリンクさせ多くの人に伝えていきたいですね。

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